わたしのクルマ歴2

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わたしのクルマ歴2

□ FFジェミニの巻
 1988年初頭、出張先で見た週刊誌の広告。いすゞジェミニZZハンドリング・バイ・ロータス。なんかシックでいいんじゃない?と思いました。FFジェミニはクリーンなデザインが好きだったもののとんがったグレードがない。そのうち「大入り袋」みたいに膨らんだバンパーの1,500ccターボ「イルムシャー」が追加されていたけれど、エンジンが元々1,500ccなので、買いたいとまでは行かなかった。このエンジンは苫小牧製です。 当時の苫小牧はいすゞの北海道工場が軌道に乗ってきて、社員のクルマはもちろん、市の公用車にファーゴ、市営バスもいすゞ、タクシーや教習車にいすゞアスカ。一般的には稀少車のピアッツァが沢山いる街でした。地元で見ればいいモノを、ちょうど出張先の札幌で広告を見たのでその帰り道、適当に入ったディーラーでご対面、次の土日に試乗会があると聞いて、わざわざ出掛けて行ったのでした。気が付いたら買う気まんまんでした。1988年2月末に契約して、3月末に納車されました。納車3日目に見通しのいい交差点で一時停止から動き出したクルマに左後ドアを当てられてしまいました。MOMOのステアリングとRECAROのシートが標準で、デザインはリップスポイラー程度で、さりげなくオシャレと喜んでいました。FFなのに乗りやすい。挙動がマイルドで、結構なスピードで走れます。新しいうちはダートなどには行かずに、舗装の山道でこっそり飛ばしていました。

□ FFジェミニの巻 その2
 買って一年は大人しく乗っていたつもりですが、タイヤが減ってきたところで、ジムカーナ用のタイヤを1セット買いました。1989年の6月4日、ジムカーナ初参戦。少し広いところがあれば、練習はできるので、人気のないところを探しては練習していました。このころジムカーナに出ている車種は、A-1クラス(1,300cc以下)はEP71スターレット、カルタス、シティ。EP82は排気量が1,331ccのため国内モータースポーツ最適車の
地位から脱落しました。カルタスGT-iはパーツが少ない。シティは1,200ccのキャブレターでも速かったのに、1,300ccのPGM-FI仕様が出てこのクラスのモータースポーツの常勝マシンになってきました。A-2クラスは(1,301-2,000cc)は。シビック、ミラージュ、CR-X(EF7,EF9)、レビン、ジェミニ、S13シルビア(NA)など。A-3クラスは(2,001cc以上)は。SW20・MR-2、スカイラインGT-Rなど。「2クラス」は台数が多く激戦でした。地区戦のA-2クラスは敷居が高いので入賞経験のない人のクラス、ジュニアクラスでエントリーしていました。会場の多くは岩見沢でしたが、旭川、鹿部、広尾にも遠征しました。
 2シーズンはジムカーナに打ち込みました。成績はジュニアクラスで中の上くらいで、入賞するにはだいぶタイム差がありました。それでも、同じクルマ(FFジェミニ)の1,600DOHCイルムシャーRでシリーズポイントをあげている人がいたのでそれを目標に頑張りました。道具としてのクルマが気になり始めるといいことがありません。自分で満足のいく走りができるようにつとめましたが、ままならないことが多かったです。舗装仕様として、LAILEのショックアブソーバー、イルムシャーRの人から譲って頂いたビスカスLSDを入れた状態で乗っていました。

□ FFジェミニの巻 その3
 自分なりに課題は残るにしても、ジュニアクラスでも上に行けないことにクルマの限界を感じていました。そこで、中古でジムカーナの戦闘力のあるクルマに目を付け中古車屋で探しました。E-ASのホンダCR-X(初代バラードスポーツCR-X)の後期形。当時は「サイバー」と呼ばれていたEF7、EF9のCR-Xが速かったのですが、時にそれを食う速さを見せていたので。割と程度のいいのがみつかり、契約を保留して金策をさきにしたら、他の人に売ってしまったという返事。あれまあ。申し込んだ融資は取り消せなかったので、他のクルマを探したのですがいいタマがなく、それでは今乗っているジェミニにパーツを入れて競技に出ようと思い立ち、1991年には、アンダーガード、ショックアブソーバー(エナペタルのビルシュタイン)、ダート用のタイヤ・ホイール、ラリーコンピュータ、フロント4点式ロールバーなどを購入、ダートの競技に出られる仕様になりました。

 1991年のシーズンは、氷上トライアル、ラリーなどに出場。そのうち一回は弟をドライバーにして出場しました。このジェミニは2>3>4速のつながりが良く、ラリーでは結構速いクルマでした。この車種は全日本ラリー選手権のBクラス(1,001cc-1,600cc)のシリーズ優勝を飾った年もあります。反面1>2速が離れすぎていて、ジムカーナではうまくいかない場面が多々ありました。このジェミニは走りのみならず、その背高4ドアセダンの形を生かして、旅行の足、家族の送迎などにも活躍してくれました。

□ FFジェミニの巻 その4
 1991年は正月1日付けで苫小牧から札幌に転勤し、動きの激しい年でした。借金してクルマを作って(競技に出られる状態にして)ラリーでもダートラでも出るぞ!と思っていましたが、住まいと仕事の変化、苫小牧に札幌から通ってのクラブのミーティング、ラリーの主催に伴う役務。出場するためのお金など、時間とお金を工面しながらラリーに出ました。クルマもぶつけたりはしませんでしたが、色んな場所がどんどん壊れ、メンテナンスの費用も莫大でした。2.16-17のラリーでは2番になりました。これがモータースポーツでの唯一の入賞歴です。ベテランナビに助けてもらいました。アルトワークス、カローラFX、レガシィRSのナビゲーターも経験しました。ラリーは二人で出る競技なので、ドライバーとナビゲーターの信頼関係が大事です。いろいろ学ばせてもらいました。


 1992年4月から1年間、東京に勤務することとなり、上半期は北海道においてあったクルマも、寮の敷地に置けることが判って10月にフェリーで三鷹に持っていきました。関東でも二度、ダートトライアルに出ました。 丸和オートランド那須とオートランド千葉第2で行われたローカルイベントです。丸和では友人のマシンがひっくり返ってしまいました。ジェミニは、1993年3月、東京を離れるとき、この友人に引継ぎました。

□ ファミリア1300クレールの巻
 ジェミニを手放した後は、E-BG3Sファミリア(4MT)が足になりました。1,300ccですが、車体は1,800ccターボまで共通なのだからシャシーのポテンシャルはあるだろうと考えていました。155R13のショボイタイヤには我慢できず、175-70R13のタイヤを履かせましたが、今度はショックアブソーバーの減衰不足が気になることになりました。低いレベルであってもバランスを欠くと、どんどん不満がでてくるということも知りました。いじるくらいなら上級グレードを買った方が安くつくもの。実際の走りでは、スッと切り込むとグラッとロールし、ダートのコーナーで遊んでみるとロールの戻りからコーナーでおつりをもらって、出口でタコ踊り(右に左に振り返しの連続)に陥るなど、こんなもんでいいだろうというセッティングが見え見えのクルマでした。法定速度以内なら危険な目には遭わないということでしょうが、スポーツグレードのきちんとしたセッティングを知っているだけに、廉価版といえ手を抜いた仕上げは残念に思われました。エンジンは元気です。とはいえホンダなどには敵いませんが。このクルマとはまる一年付き合いました。シャシーのポテンシャルを、ショック、バネ、タイヤ、スタビなし等々のコストダウンで悪いクルマにしていると感じました。

□ フォルクスワーゲンゴルフ(GOLF III 1.8CLi)の巻
 足グルマとしてのファミリアは、それなりのものとして評価していましたが、だいぶ「割引」して考えねばならず、気に入っているとは言い難いものでした。そんなときに、「走り」とはほど遠くても乗って満足できるクルマは何かと考え、何とはなしに見に行って決めてしまったのが、フォルクスワーゲンゴルフでした。1994年当時は1,800ccのCLi、2,000ccのGLiに加えて、2,000ccのGTI、2,800ccの狭角V6エンジンのVR6というラインアップでした。
 発売したてのプジョー306XSiと比べて魅力はなかったのですが、堅実な造りと販売店(トヨタ系)への信頼から購入しました。トランスミッションは5MTを選択。これがワイヤーではなくロッドで多少ごつさは感じるものの操作感がしっかりしていて好感がもてました。4ドアボディと5MTの組み合わせは1994モデルのみ。後悔のない選択でした。
エンジンは低回転でトルクが出るセッティングで、上は回しても5,500rpmくらいでパワーは頭打ち。かつ市街地での出足はもたつき気味ですが、アクセルペダルは踏みしろが大きい。ブレーキも踏力でコントロールするタイプ。ABSで冬道も安心。市街地ではとろく感じるのですが、北海道の郊外路での巡航速度では安定感この上ない。サスペンションは徹底的にアンダーステア(スピンモードに入らない)にしつけられていて、それはそれはつまらないほどですが、安全面から言って限界域での挙動が乱れないことは、いろいろなスキルレベルのドライバーに愛される要素だと思います。エンジンパワーが低いので加速は遅いですが、じっくり待てばかなりの速度が出ます。過去最高スピード(メーター読み)はこのクルマで体感しました。4WDでなくても冬道も安心、一つのタイプのクルマを造るためにかなりの研究を重ねているのだろうと推測できる「深さ」があります。シートやボディ、塗装も丈夫。GTIやVR6でなければランニングコストも特段高くない。このクルマは短時間の試乗ではわからない、乗るたびに発見があり、飽きの来ないクルマでした。

□ トヨタクレスタスーパールーセント(GX71)の巻
 1996年4月、突然室蘭に転勤することとなり、当初はバスを利用したのですが、街が広いのに行動範囲が狭まりすぎて窮屈を感じたので、なんでもいいからクルマがほしいと、クルマを乗り換えそうな人がいたら声をかけていたところ、「廃車にするけど、乗る?」と聞かれ、検査切れ直前のところを譲り受けました。フロントガラスにヒビがあるとか、その他諸々車検を通すためにお金がかさみ、当初はまともに乗るための準備としてショックアブソーバを新品に換えるとかプランを練ったものの、実現できずに乗りはじめました。一世を風靡したデザイン。山崎努が出演して、George WinstonのAutumnの流れるCMは鮮烈に覚えています。マークII。チェイサー、クレスタの三兄弟車に加え、セリカXX、ソアラ、クラウンにも搭載されたトヨタの基幹エンジン、1G-EUも10万キロを回った後では乗って楽しいエンジンでもなく、車体もヤレが大きく、何のために乗っているのか判りませんでした。FR(フロントエンジン・リアドライブ)の美点が感じられるかと思ったのですが、前後オーバーハングの長さと、へたりきったショックアブソーバがおりなす、船のような揺れ、冬道の低μ路面でもステアリングインフォメーションが感じられず、回す量の多いステアリングギアレシオでは、「遊ぶ」こともできず、足としての使用に徹したクルマでした。新車の頃を知っているだけに、落ちぶれた姿に哀愁を感じました。ピカピカにして乗ってあげたかったのですが、純白のボディもややくすんでいました。主に通勤と室蘭近郊の鉄道撮影に活躍しました。


 写真は、後にNゲージでマイクロエースから発売になった「ニヤクコーポレーション」のタンク車(めずらしい)と一緒に撮ったものです。