わたしのクルマ歴

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わたしのクルマ歴

□ その1(1984年式カローラレビン、E-AE86型)
 免許を取るまではクルマは「見て楽しむ」もの。弟と共に、かっこいい悪いと新型車が出るたびにスタイル、たたずまいを見て語っていました。免許を取った頃も似たようなもので、運転していることで満足していました。その頃、雑誌で募っていた「ツーリングクラブ」なるものに入って、連休があるたびに、函館、帯広、といった具合に出掛けていました。そのときは親のくるまC230ローレルだったのですが、ソアラ2.0VXや同2.0VRに乗られている方がいて、高級パーソナルクーペの存在感に圧倒されました。
 その頃の自分のマイカー候補車は、ファミリアやカペラ、シビック、レビン、カリーナ、シティ、サニーターボルプリ、パルサーミラノX1、ミラージュなど。現実的にこれらの新車を買うには予算的に背伸びが必要です。親にお金をだしてほしいと言いましたが、断られました。これには今となっては感謝しています。いくら見かけでクルマの名前が判って、スペックなど比較しても、その頃(19歳)では、今欲しい、この夏に乗りたい、と思うわけで、例えば「来春、このクルマはフルモデルチェンジして劇的に変わる」といわれても「一年はおろか、半年先でも待てるわけはない」という気持ち、要するに何にもわかっちゃいないわけで、値段についても苦しんで自分で買う、維持することで自分のポジションも実感できるわけです。結果、我慢して待って、そのうちにまたいいのが出て、市場の構図が変わって、最適なモデルと出会えたわけです。
 20歳の誕生日の翌日にセールスに急かされ契約したカローラレビンですが、その頃、特に走りのモデルにこだわっていたわけではないので、こんなモデルも気になっていました。
・1983年6月に登場したホンダシビックシャトル(55i)
・対抗でトヨタカローラ5ドア1600SR
 4人乗れて、後席を倒せば広大な荷室。新車を買って長く乗るうちにライフスタイルが変わっても対応できる、とずいぶん大人びた考えを持っていました。これを買っていたら、鉄道模型を中断することも無かったかも知れません。6つ下の弟は、とにかくカッコイイモデルを買わせようとこんな車種を推してきます。
・ホンダシティターボII
・パルサーエクサターボ
・コルディアターボ
 ファイブドアのクルマなんてかっこわるい、もってのほかだという感じです。それもそうかと考え直し、スタイルは4ドアセダンで、エンジンのいいモデルを考えます。
・トヨタカリーナAA63(4A-Gエンジン搭載)
・三菱ランサーターボ。
 後者は高かったので買えなかった。前者もレビンより15-20万高く、買えなかった。結局考えてみても価格が少しずつ高いクルマがほしくなるだけで、実現は遠のきます。カローラ店のセールス氏の見積もりでは、「あなたの予算ではカローラII1.5SRがいいとこです」と言われていました。「それならリッターカーでも」とスズキカルタスの装備の良さにひかれましたが弟に反対されました。マーチはタコメーターが付いていないインパネが嫌で脱落。

 北海道に住んでいて、なぜにFR車なのかというと、このころはまだトヨタがFF化を遅らせて、先駆けてFF車を開発、販売した他メーカーをけなしていた時期、冬道でFFが圧倒的に有利だとは(トヨタのディスインフォメーションのおかげで)考えられていなかったのです。ある程度車重があり、エンジンパワーも低く、跨線橋の坂でさえシフトダウンしないと坂を登らないモッサイ加速のローレルから乗り換えたレビンは、ステアに対する動きが俊敏でした。 納車したての冬の交差点でアクセルをいれると、テールが滑ってひやっ、ドキドキ。「なんてコワイクルマなんだ」と思いました。
 春が来て、夏タイヤに交換です。185-70-13のトーヨーZラジアルを履いていました慣らしを終えて、回転を4,000回転にしてみました。びっくりする加速です。その後、5,000回転までまわすと目が付いていきません。「こんなエンジン扱えない」と思い
ました。そのうちに、直線ではなんとか怖くなくなりましたが、コーナーではアクセルを開けられません。石橋をたたいて渡る感じで無理をせず、クルマになじんで行きました。タイヤを鳴らすような運転は全くしませんでした。
 とある冬道、左手に跨線橋を見上げる交差点下で信号待ちをしていると、坂からこちらに右折してきたラリー仕様のレビンが左フェイントから豪快にスライドさせながら廻っていくのを目の当たりにして「なんでこんなことができるのか!」と思いました。
脚がしっかりして、FR車ならLSDを入れて、タイヤがしっかりしていれば、見かけが派手など挙動はわけなくできることは、その後わかってきました。まだまだ修行は続きます。

□ カローラレビン つづき
 トヨタクレジットで80万、職場から40万、親から25万借りて、自分で15万の資金で買ったAE86。乗るだけで満足でした。というより全く何も買えない状態。買ったのは鉄板ホイールとスパイクタイヤ、安いマット。しばらくして、カセットデッキ。パーソナル無線を積んで、夜な夜な空き地で交信していたなぁ。
 当時は乗用車の新車三年車検のはじまり。トヨタクレジットは36回払い。これが終わるまではほとんどお金に余裕がありませんでした。当時のAE86は、白黒ツートンのGT-APEXに乗っているのは街乗りのにーちゃん仕様。一方で、白のGTをバリバリ改造しているラリー車が沢山走っていました。車両本体115万くらいのGTに100万から200万をかけてパーツを取り替えたりするわけです。当時読んでいたクルマ雑誌、ドライバーやベストカーに「ファインチューンの仕方」のような特集があるとその内容をやってみたくなり、とりあえず借金が消えるのを待っていました。
 最初の三年間は遠乗りドライブが多く、年間24,000kmくらいの走行距離を刻んでいました。


 北海道をFR車で走っていると、わりと頻繁にコワイ思いをします。FR車ではコーナーリングを失敗して舵を多く入れると強いアンダーステアの後スピードが落ちたところで突然舵が切れてしまい、おっとっと、といわゆる「タコ踊り」(右に左に一テンポ遅れて振り返しの連続)に陥りやすいのです。それを防ぐには、前輪のステアと、後輪のアクセルON-OFFを連動させて最小舵角できれいに曲げて、立ち上がりに繋げる運転をする必要があります。積雪地や氷雪路が出現しない地方においては、こんなことは法定速度を超えないと起こらないのですが、北国では日常なのです。自分の大事なクルマを壊さないために、道から外れないために乗りこなしたいという気持ちは強くなっていきました。
 地元、苫小牧にあるカーショップはほとんどがラリー屋さんです。その一店を訪ね、「LSDを入れてショックを替えたい」と相談すると「ノンスリなんていれて、舗装でキーキー走るの?」と聞かれました。走りたい人は林道を走っていた時代です。ショップの前にあるハチロクを乗ってみて、と言われ、GABカラーのハチロクレビンを試乗しました。内装を剥がされ三速クロスミッションが入っているので、駆動系の唸り音が室内にこもります。自分の家の近くの舗装されていないコーナーを走ってみました。機械式LSDが入っているので、進入スピードを抑えさえすれば、いとも簡単にアクセルオンで弱カウンターステアで立ち上がることができます。ノーマルのデファレンシャルでは、滑ると駆動力が抜けるので立ち上がりではタコ踊りしがちです。それがきっかけで、TOKICOのショックとTRDの4ピニオンLSDを入れました。カッコだけならコーナー立ち上がりでパワースライド思いのまま。ただし雪道とダートのみ。進入時のアンダーステアが強くなったので、ブレーキング>前荷重>ステア開始>アクセルオン、の手順で的確に速度コントロールができないとすべてがとっちらかるクルマになりました。ブレーキングは難しい。今でも思います。

 練習のため、裏山に広がる林道を走るようになりました。ラリー屋さんは無線を積んで数台で走るのですが、そんな本格的な人達に混じることもできず、一台でこっそり、ほどほどのスピードで土の上を走らせていました。その成果を試すため、舗装の山道を走りに行ったりしました。夜中の道路を攻めている人達と出会うのもこのころです。CAR BOYやOPTIONステッカーがほしかった時期です。舗装道路を攻めている人達の本格的な速さと、林道を練習している人達の真面目さの間で、自分はどちらの道を行こうかと考え、モータースポーツのクラブに入りました。
 山道をレーシングスピードで走るのは楽しいですがリスクが多すぎます。ぴかぴかのクルマが戻ってこないと思ったら橋の欄干に激突し、トランクが展開図みたいになっているのや、正面衝突など、いろいろ見ました。
 自分はクルマが好きで、傷も付けたくないし、壊したくないのだけど、事故を起こすなら、公道で相手があるのより、リスクを負うのは一人で自分のクルマだけが壊れるほうがいいだろうと考えました。 クルマで飛ばさない、という道もあったと思うのですが、当時はその方向は全く考えませんでした。

□ カローラレビン その3
 サーキットでのレースは一般的でなかった北海道において,モータースポーツはラリー,ダートトライアル,ジムカーナ。ラリーは土曜日の晩に林道を走り回って日曜の朝ゴールする競技。ダートトライアルは土のコースを一台ずつ走ってタイムを競う競技でコースは毎回変わる。道のような造りになっている常設コースもあれば,広場に立てたパイロンを回るコースもある。JAFの用語ではスラローム第2種。真冬に凍結する湖の上で雪かきをしてできたコースを使う競技会も1月,2月に開催される。ジムカーナは,ダートトライアルと同じルールで路面が舗装路であること(スラローム第1種)。広い駐車場や郊外の自動車学校,軽飛行機の滑走路跡などを使う。
 ラリーに出るには2〜3万円の参加料がかかる。ジムカーナやダートトライアルはだいたいラリーの半額くらい。全日本戦や,地区戦になるともっと高くなる。競技車に掛ける保険は100%割り増し。いろいろお金がかかります。クラブの会費にライセンスの更新料,無線局の免許維持費用など。裏山の林道や,峠道に走りに行くほうがよっぽど気楽。だけど,突き詰めて考えると,社会性,安全性(危険性)などから「クルマで山道を攻めてます!」というのが趣味とは言えないものがありました。
 身近な友人を事故でなくしたり,後遺症が残るけがをしたりした人は,怖さを知っていますが,そんな経験がないうちは,安易に考えがちです。
 競技ライセンスは,競技に出られる免許証。だから,競技に出ていますと言っても運転が人よりうまいですということにはならない。連戦連勝であれば,天狗になることもあるでしょうが,わたしは走って入賞したことなどありません。後にジェミニで計算ラリーに出て2位になったことがあったけど,ナビゲーターの指示通りに走っただけのことです。
へっぽこハチロク乗りの私などより,峠を走っている人たちのほうがこと舗装路でスキッドさせて走るくらいですから,運転のスキルとスピードへの慣れは,数段上。コーナー手前でクルマをこじってブレーキングドリフトやパワースライドというのではなく,普通に速さを追求して,結果滑っちゃったという次元。ちなみに「ドリフト」はハイパワー車の足を固めてLSDを組めば割と簡単にできる。高い速度で,かつ姿勢制御も自由自在にとなると,これはこれで奥が深いのは認めます。ですが,速く走るための操作は,ドリフト姿勢維持テクニックの先にあります。
 わたしのレベルは,舗装用タイヤ(夏タイヤ)を履いてダートで緩やかに横滑りする車体を制御できるようになった。冬道でもスピンせずにコーナーを曲がれるようになったという程度。折から増えてきていた「峠を攻める」人々のギャラリーとなり,自分自身は誰もいない安全なコーナーで自分の考えた走り方で感触を掴むような日々でした。
 あの頃峠で目立っていたクルマは,AE82カローラFX-GT、ATシビックSi、EF7・CR-X Si,SA22C RX-7,スカイラインRSターボ,ポルシェ911など。
FRのAE86を攻めきれないより,FFのシビックなどで速度慣れした方が速く走れたようです(限界を超えたらノーコントロールですが)。一定以上の「限界」を超えると,物理の法則で物体化するのがクルマです。軽さは武器。550ccのミラターボTR-XXが1600ccで追いつけないような走りを見せてくれたりしました。
 峠で出会った友人は,カローラII(リトラ)1.5SRでヘアピンの20メートルくらい手前から姿勢を変えて,スピードが落ちたところで立ち上がりのラインに乗せるという見事なブレーキングドリフトが普通にできる人や,70系のカローラバンで冬道でハチロクを蹴散らすような走り(流れっぱなし)ができるような人たちでした。前者はタイヤもその辺で拾ってきたようなタイヤ,後者はノーマルスパイクタイヤです。
 走るにはまずカッコから入る人が多かった時代です。 カッコとは,バケットシートを入れる,ステアリングを換える,タイヤを換えるバネ,ショック,ブレーキをよいものに換える等々。慣れた道であることもあるのでしょうが,「速いクルマ」に付いていくとかそれを引き離す速さというのは,クルマという道具を使う以上,コーナーリングの見切りと速度に対する的確な操作が無くしてはあり得ません。そんな彼らをモータースポーツのフィールドに出してみたくなりました。

□ カローラレビン その4
 ショックアブソーバとLSD(リミテッドスリップデフ)が付いたレビンは,ショックがダート用だったこと,フロントのバネを換えたことから車高が上がり,ダート用の雰囲気になってきた。クラブにジムカーナ屋さんがいなくて,ラリー&ダートラだったこともあって,その方向に誘導されたのかも知れない。
 中古のアルミホイール(エンケイのWRC Spirits)にダンロップのダート用タイヤSP82Rを組んで林道に行くと,今までスライドしていた速度域ではタイヤの食い付きが良く,オンザレール感覚。ダート用タイヤの威力はすごい。特にブレーキが良くききます。従って,前荷重>ステア切り込み>アクセルonが安心してできる。速度を上げれば限界に近づき,そのときにはとんでもないスピードが出ていることになるのですが・・・。乗り始めは「テールが流れておっとっと」だったわたしも,雪道(低次元)でリアが流れてもコントロールできるようになり,ダートで夏タイヤを履いた状態で流して走れるようになり,ダートでラリータイヤを履いてかなりのスピードで走れるように進化してきました。
 山で出会った人たちをダート(林道)に誘ったのもこの頃です。気の知れた人たちを3人集めれば,対向車が来るリスクを減らせるのです。見張り役を1台ずつ,走り役を1台ということです。地元の林道は,国内ラリーで使われているような1台幅の道ではなく,フィンランドやニュージーランドのようなダイナミックなコース。少しタイトなところで「Ave80」と言われているところがありました。ガレ場はなく,ガードなしでも走れます。あそこの杭からスタートして,あの鎖のところまで何分何秒,なんてやってました。たまーに本物のラリー屋さんの練習と鉢合わせしたりして・・・。
 昭和61年は,「5.1規制」という馬鹿げた話があったときです。どこかの陸運局の管内で,ばりばりのラリー車が車検に通ったときその「違法」改造が問題となった。当時の規則は,エンジン本体,補記類は手を入れられない(吸気・排気系はノーマル),ミッションは交換可能(クロスミッションに交換),バネ,ショック,ブッシュ,ブレーキは形状,個数を変えなければ交換できる。安全装備として4点式以上のシートベルト,スチール製のロールバーが義務づけ。軽量化のために内装ははがし,バケットシートとステアリングを装備,というのがラリー車の形でした。
 そんなラリー車の1台がJAF公認のラリー車であったことが問題となり,昭和61年5月1日付けで,ラリー車は道路運送車両法違反の状態だから,ぜんぶノーマルに戻しなさい,ということになったのです。
  特に大きかったのがロールバーまで外さなければならなかったこと。曰く,車内の危険な突起物なんだそうです。「ロールバー、4点式安全ベルト、バケットシート、ハンドルもダメ。ヘッドライトもシールドビームに戻し、補助灯も外し、ショックアブソーバーだけはOK。LSDもスプリングもクロスミッションもノーマルに戻した。」という状態。危険すぎる。ノーマルに戻さないと国内でラリーは認められないという強いお達し(誰の?)があったそうです。その後,地道に「公認パーツ」(メーカーが複雑な強度計算書を出して認められたパーツ)が充実していき,他方、規制緩和で違法改造呼ばわりされるケースが縮小したことも相まって,長い年月の間に「マトモなラリー車」が走れるようになっていくのです。
 話がそれた。 わたしのクルマはロールバーがないので競技に出られなかったのだが,この年の規則の「改悪」のおかげで,ダートトライアルに出られることになった。早速地元雑誌で中古のアンダーガード,デフガード,タンクガードと「シュロス」のシートベルトを個人売買で見つけ,取り付け,晴れてモータースポーツデビューしたのでありました。


 登別で行われたそのダートラの走りは弟にVTRを廻させているので記録されている。場所は火山灰でできた広場です。1本目の走行。スタートしてすぐ,直線でふらつき,コーナーの場所を見失ってミスコース(中断リタイヤ)。2本目,ボロボロの状態で後半まで走るが,どこかでミスコース。結果,タイム無し。この年は,2,3度ダートトライアルに出ている。まっすぐ走らせるのもままならない状態。アクセルを戻すから悪いので、全開のまま後輪を滑らせたほうが挙動はマイルドになるのですが、コーナー手前のシフトダウン、ステアリングの切り方も「練習中」の身では、これでも精一杯だったのでした。
ハチロクでジムカーナをやってれば,もう少しおもしろかったかもしれません。

□ カローラレビン その後
 1987年-88年の冬も、ヨコハマWR13スパイクタイヤで過ごしたわたしは、これ以上どうしようか考えていました。ラリー、ダートラでは1986年に発売されたファミリア4WD(BFMR)、ミラージュセダン/ランサー4WDターボ(C73A)が席巻し、これからFR車で出場しても無駄という状況になりつつあり、わざわざ愛車をダートにおろしてもモータースポーツで活躍するような状況でなくなり、また、クルマにかけるお金が莫大になってきたことから、この辺で一旦休眠し、クルマを入れ換えることにしました。
 折から免許を取った弟が最初に乗るクルマとしてこのレビンに目を付けていたこともあり、1988年3月、95,907kmを刻んだ時点で弟に引き継ぎました。次のクルマは、いすゞジェミニZZ(JT190)です。ジェミニの色は、黒、白、緑、濃紺の設定があり、濃紺を選びました。この時点では、再び走り心に火がつくとは思ってはいませんでした。


 レビンは弟の手で峠、林道と駆け回り、その後ミッション交換、エンジン交換などをしつつ、15万キロくらいは行ったはずです。